バランスのジレンマ

さて、予想通りKonozamaってるわけですが
しょうがないので、昨日の話題
ゲームバランスについてを
もうちょっと膨らませてみる。


何かというと、昨日書いた

で、まあなんだちゃんとバランスが取れてるとして
それって、面白いの? そこで止まってないの?
というのが一番の不安。

というのを、もうちょっとちゃんと話しておかないと
伝わらないんじゃないかと思ったので、それについて。


この話は別に『世界樹の迷宮』が具体的にそうだ
といったような話じゃなくてもっと抽象的な事なんだけど
ゲームバランスはバランスが取れると面白いのか?
と言うことなわけだけど
もうちょっと言うと、ゲームバランスってのは
世界樹の迷宮』におけるクラス間のバランスのように
ミクロなレベルでのバランス調整と
それらも含めてゲーム全体、
マクロなレベルでのバランスというのがあると思うんわけだ。


ゲーム全体としてのバランスっていうのは取れてないと
さすがに余りにもカオスだったり不条理だったりして
ユーザーのストレスとなって
ゲームの面白さを減衰させちゃうとは思うんだけど
# 破綻したゲームには破綻したなりの面白さがあるので、
# これもまた一概には言えないけど。(この事は後述)
ミクロな個々の要素においてまで、バランスがきちっとしてる事が
果たしてゲームを面白くするのか? とか思うわけです。


例えば「じゃんけん」というのは
三つ巴によってパワーバランスが完璧に取れている
もっともシンプルにして一つの完成したゲームだとは思うんですが
ゲームとしての戦略性は、手のバランスが完璧なために
どれを出すか、という事に「選択」の意味がなく
実は運だめしでゲーム性は本来ない
とも言えるんじゃないか、と感じるわけですよ。


例えば、ある完全にランダムに手を出せるコンピューター同士の対戦と
一方を人間にして、十分に手を考えさせて勝負した結果
というのは、勝率変わらなくなるだろう。


もちろん、実際の人間同士では心理戦とかがあったり
同じ人と何度も勝負したりすると
傾向分析なんかもできるので
そういった面から戦略性は生まれたりもしますが
上で言う、COM戦や予備情報なしの一回の勝負、とか
「じゃんけん」のゲームをもっともプリミティブな状況で行うと
どの手を出すか、という戦略もなにもない、という事。
# なんだろう、繰り返しの囚人のジレンマには戦略があっても
# 繰り返さない囚人のジレンマは支配戦略が固まって
# ゲームとして成立しないのと似たケース?


で、まあ「じゃんけん」って
日本のは基本的に3つ巴だから
そこからバランスを弄りにくいわけだけど
手数がもう少し増えると話も変わってくるわけですね。
そして、その時に手にメリハリを与えると
ゲームとして戦略性が生まれ一層面白くなる可能性があるわけです。


この辺りの話はジャンケンの数理に詳しくかつ面白いわけですが
# てか、ここの話を解釈しなおしてるだけだって? ごもっともです。
手数を増やした「じゃんけん」において
手の相互間のバランスを維持したままにするのと
手の相互間では強弱にメリハリがあるけれど
全体としては(無意味な手がなく)バランスが取れてるのとがあって
後者にすると、どの手を出すのかという
「選択」の価値がぐっとでてくるわけです。


つまり、「じゃんけん」からもう一度話を抽象に戻すと
ミクロなレベルでのバランスを突き詰めていくと
ゲームはどんどん均質化してしまうのではないか。


ゲームのバランスを考える時には
マクロでのバランスのみが肝要で
ミクロレベルではむしろメリハリをつけない方が
面白くなる事だってあるわけで
バランス取りでそのマクロとミクロの履き違いをしない
バランスを取る事だけが目的化して
ゲーム性をスポイルしちゃわないような
そういった調整が必要になってくるわけです。


ここで抽象と言っておきつつ、
やっぱり具体例としては便利なので
世界樹の迷宮』の話になるわけですけど
前作においてクラス間のバランスは
かなり悪いな、とは思ったけれど
じゃあゲーム全体としてみると
それはそれで結構巧く取れていたんじゃないか
という印象がある。


世界樹の迷宮』において
クラスデザインの失敗をあえて「レンジャー」だけ
取り上げたわけだけれども
これはレンジャーのバランスの悪さというのが
攻撃職の飽和、攻撃属性のイメージによる劣悪な割り振りという
ゲームデザインの構造的欠陥による失敗と感じたからで
レンジャーが他より優遇されている、という事の
問題だけを取り上げたかったわけではないからだ。
# なので、最も不遇だと書いたブシドーにはさほど言及していない。


クラス間のバランスの悪さで言えばメディックなんかは
下手するとレンジャーよりも有用性があったり
パラディンはぶっちゃけると三竜セルくらいでしか必要な場面がなかったりと
レンジャーよりも実はバランス悪いんじゃないか
と思われるような要素はいくらかあるわけだけれども
ゲーム全体としてはある意味面白く作用しているとすら感じている。


それは、メディックが結局は
ヒーラーというonly oneな役割にその価値を立脚しているという事だったり
パラディンの一点のみの利用価値であっても
その一点だけは圧倒的な優位を持っているという事に
ある種面白みを感じていた、ともいえる。


もちろん、私は各クラスへの固有な思い入れが薄いタイプなので
こういう風に割り切っちゃう側面があるわけで
だから別に『世界樹の迷宮』のクラスバランスが悪くても良かったんだ
とは単純には言い切れない。


このゲームに対してバランスだけの観点ではなく
クラスごとに強い思い入れを持つことで楽しむタイプだったりすると
自分が好きなキャラの価値が低い、というのは
やっぱりその事自体が面白さを失わせるだろうし
それは十分に自然な事だと思う。


ただ、ゲームとしての面白さを考えたときに
バランスというのは取れてればいい
と必ずしも単純化できる話でもないんだ、とかそういう所。
マクロとミクロ、どこでどうバランスを取るのか
そこにゲームデザインの妙が現れるのかもしれない。


長い上に、イマイチ主張の固まらない話になってしまった。

補足、破綻したゲームには破綻したなりの面白さがある

なお、破綻したゲームには破綻したなりの面白さがある
というのをもっと言及すると
そもそもゲームの面白さに
ゲームバランスはどれくらい関与しているのか
という話になる。


これはこれで色々と考える部分もあるんだけど
突き詰めると、ゲームは最終的に面白けりゃそれでいい
というような事に大概行きついてしまうので
とりあえずは横においておきたい。
# どうにも及び腰だ。

補足2 4人じゃんけん

上のじゃんけんの数理の所で
4人のじゃんけんは手が無意味かするっていうのがあるけど
これは中途半端にクラスを増やすと
役割の境界がぼやけるという、昨日の話にもちょろっと通じる。


まあ「じゃんけん」は手がお互いに常に対立する
という零和なゲームなので
世界樹の迷宮』のようなRPGのクラスデザインに
直接結びつけるのはいささか飛躍しすぎなんだが
ニュアンス的な物で感じ取ってくれると
ありがたいかもしれない。
# すっかり弱まった。